カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

不動産もいろいろな物や情報も。どう見るかどう解釈するかが、その人の表れと言えるのではないでしょうか。不動産投資について。

2021.05.04

先月、長女が転勤のため、東京を離れて地方へ引っ越しました。

長くならないうちに東京に戻ってこれる見込みのようですが、東京で生まれ東京で育ってきたこの子にとって、異なる地での経験は、貴重なものとなるでしょう。

昨年は転勤を取り止めた企業も多かったようですが、今年は、どうなのでしょう。

 

さて、定年退職を想定していない自営業者(不動産業者)の私は、いつまでもできる間は仕事を続ける、やり続けなくてはならないだろう、という感覚でいます。それは現実としてそうなのですが。考え方も実務も、無駄をはぶき、シンプルに整理したいような気持ちが強くなっています。大流行した『断捨離』という考え方に含まれるのかもしれません。

習慣(癖)となっている物の見方が、そろそろスライドしそうな予感がします。

物の見方がスライドすれば、見ているものが違うようになります。

見ているものが違えば、私の「思い」も変わります。人は何を見ているかによって、見ている物によって、その物をどう見ているかによって、「思い」を作り出し、世間(この世の中)に向き合います。

一層シンプルなものの見方というものがあるわけです。今の私は、一層シンプルな見方から見えてくる物で、私の「思い」をつないでいきたい気持ちになっています。

人はその人に見えているものに従って、その人固有の「思い」を持って、世間と分かり合おうとします。人の数だけ「思い」があって、それが世間となるわけですが、人の思いも日々変化します。

世間の一つである私の「思い」が変化すれば、世間の方もわずかであっても変化する。

そうだとすれば、この世の中は、同じ「思い」の人の数が増えるごとに小さな変化の元が出来上がり、いつか、その思いが多数となれば、いよいよ、チェンジしてしまうものでしょう。

世間を気にしているようで気にしていない、気にしていないようで気にしてきた。そういう私の性分は変わらないとしても、そもそも私自身も世間の一部なのですから、本来世間を気にする必要はないのかもしれません。

私が気にするのは、私固有の「思い」でいいのでしょう。私の思いの元となる物の見方や情報の解釈の傾向が私の「思い」を紡ぎますが、それは、私の性格にすぎず、よいもわるいもない。大事なことは、私の思いは私のものであり、他人の思いは他人のものであるという意識。お互いに尊重しておけば足りることであり、無理して相手の性格に積極的に関わり合うような性質のものでもないということでしょう。

 

このところあまり本を読まなくなりました。世間では本を読むことはわるいことではないようですが、私の場合は、世間の思いがあちこちにあふれているこの東京を歩きながら、もう一度、世の中の動きに気持ちを向けた方が良さそうです。

ある意味「電車の中吊り広告」で十分なのかもしれません。

不動産業に就く前に、制作会社で編集&コピーライターの仕事をしていました。仕事らしいことができるようにもならないうちに、4年にならず退職しました。

当時の職場の夢を最近見ました。

電車の中吊り広告には情報が一杯詰まっている、その職場に勤めていた当時、上司の一人から聞いた記憶があります。

そうなのでしょう。どれほどたくさん本を読むよりも(もちろん本を読み思考が鍛錬されていた方が精確になるのでしょうが)、電車の中吊り広告の短いコピーから、書く人の「思い」と書かせる「世間」が見えてくる。上司はそういう意味で言ったのではないかもしれませんが、今の私は、そういうふうに捉えます。

それが年月なのでしょう。

不動産業が長くて、不動産の前の仕事短かったコピーライターの感覚は残っていませんが、最初に就いた仕事はその人にとって大きな意味があると言います。

不動産業界に長くいると、この世であれば誰にもある「欲」が交錯しながら織りなす世界観が形成されるものだと思います。程度の差はあり、大いにそうなる人と、ほとんどそうならない人の違いはあったとしても、それが不動産というもの。そう私は思います。そこには、ネガティブな意味合いとは限らず、ポジティブな意味合いもあります。

しかし、私が不動産の仕事に入らず、コピーライターの仕事を続けていたとしたら。仮にはないのがこの世の中ですが。仮に、コピーライターが仕事になっていたとしたら。私は、どういう世界観を持っていたのでしょう。仮にはないので、答えはないです。

不動産業の私も、過去にコピーライターになろうと願っていた私も、同じ私自身であり、私の行き着くところは、いずれにせよ、同じです。行き着き方は異なっても、行き着けるまでの時間の感覚に違いはあったとしても、私とは私の思いですから、私の思いがある限り私は存在する。私の思いがすなわち私であるとすれば、どの仕事をして何を思ったとしても、それが私です。だから、仮にはないのです。

 

ここでたくさんブログを書いてきました。

娘たちがいつか読むかもしれません。そのいつかがいつなのか、あるのかないのかもわかりませんが、「ママの思い」の正体や思いの移ろいは見てとれることでしょう。

お読みいただいている方のお一人にでもたった一つでも利するところはありますでしょうか。不動産の話を書こうと思えば、何より自分の思いに行き当たります。

不動産は、衣食住の一つです。だから、この世の中から無くならない。それだけ手堅い商売だと思っています。

不動産投資をされている方にもお読みいただいているようです。投資についてはそれぞれお考えがあります。物の見方、どうものを見ているか、それが不動産投資でもあるでしょう。短期で見るか、長期で見るか、国内なのか海外に目を向けるのか、小粒な物件を好むのか大型物件でないと意味がないのか。いろいろありすぎて、となりますが。実際のところ、傾向ははっきりしていて、その人の「思い」の通り、不動産投資が行われます。たくさん勉強される方、勘がいい方、勝負運のある方、親から引き継いだ資産を生かせる方、違いはあるとしても、「思い」の数だけ不動産投資があり、「思い」の数だけ「住まい方」がある。思いは多数の気がします。たしかに人の思いは人の数だけあるとしても、人のパターンは単純化していけばわずかな数通りまででしょう。

不動産投資がうまくいく方は、いずれかのパターンの中で、細分化すればきりがない分類を知識と経験によって区別でき、基準の実践が上手な方。そういう気がします。

本を読む方、電車の中吊り広告を読む方。タイプはあったとしても、自分の中に基準があって、その基準を不動産投資で実践する方は、その人の「思い」は明確なのでしょう。不動産という物件は、人の思いとともにあります。

不動産投資をされている方、これからやってみたい方も、お一人お一人の思いに近い物件を見つけられることでしょう。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美