カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。
2020.11.11
本を読んだり、読まなかったりを繰り返してきました。
私は読書に何を求めていたのか。
年齢を重ねる中で、自然にページは膨大になっていったとして。
求めていたのは。
今になってわかります。
アウトプットを目指すためではない。自分自身の中に保存し拠り所とできる『一つなりの言葉』。
インプットすることで生じる気づきを欲していたのでしょう。
気づきが折り合うたった一つの連なる言葉に出会えれば、それを私にとっての真理に決めて落ち着きたかったのだと思います。
落ち着ければ、本を読むことを止めても良かったのでしょうが、いつまで経っても、ぴったりはまる言葉がなかった。
だから、時にまた本を読み、そうする間に何十年が経過してしまった。
たとえば不動産を対象に、自分自身の外に見える対象について、他者と共通の言葉で語り合えることは私にとって魅力です。
私の見るその対象と他者の見るその対象が異なっていたとしても。私の発する言葉や理解と他者のそれらが一致していなかったとしても。
乖離はありますが、共通の言語が滲みだす範囲で、ぼんやりながらも認識は近いことが助けになります。
乖離はあって、隙間はありますが、ベースとなる対象があることは相互理解の促進に役立ちます。
しかし、乖離のない感覚がどこかにあるのではないかと。
自分の中を探せば、自分と世界が一致する一つなりの言葉(答え)が見つかるのではないかと、捨てきれない期待が原動力であり、私の場合、読書が苦でなくなっていたわけです。
ただし、本を読んだからといって、乖離のない感覚が実感となるような経験はありません。
自分自身の中にもなければ、外にもない。外にないから、自分の中に求めたのでしょうが、かえって自分自身の中にはどれほど探しても見つからないことを認めます。
だから、外に求める。外に求めると乖離に気づき、不満足に思えるから、自分自身の中に探す。
こういう繰り返しを経て思うのは、対象を表現する共通言語を駆使し乖離はあっても大まかに他者と分かり合おうとすること、他者を通して自分自身をわかろうとすること、それが現実的であり、いよいよ限界なのだと気づきます。
乖離があるのがこの世の中。他者と自分自身が完全にわかり合えることはないのが社会であり、隙間に心細い思いをするのが人間の試練。この試練を乗り越えるために、私は本を読んでいたのかもしれません。
しかし、乗り越えられるものでは元々ない。
この乖離のある心細い世間の間で、他者と分かり合えない寂しさとジレンマを受け入れて。和(わ)して調和を良しとしてこの生を全うするのが私の限界なのだと思います。
この生の中でたくさんの方々が同じように限界に行き着いて、他者との調和が人間にとっての精一杯のことだと知ったのでしょうか。
私の名前は「和美(かずみ)」です。和(調和)を信じることは、これからは、もうそれほど難しくないことでしょう。
皆さんの名前は何ですか。何か信じたいことや信じているものがありますか?
カズシン株式会社
代表取締役 山内和美