カズシン・ブログ

不動産業界20年を越えて この経験に基づく~物件論

浅草、『罪と罰』(ドストエフスキー)、『ああ無情』

2020.06.21

コロナウィルスの緊急事態宣言が解除となり、久しぶりに浅草へ行くようになりました。

浅草にある「スーパー銭湯」や、ずっと決まって施術していただいている整体師のお店へ行ったりしています。

自粛が続き、お風呂やマッサージに行かない間にガチガチに首肩が凝ってしまって、つらいほどでしたが、いくらか楽になりました。

 

さて、『罪と罰』(ドストエフスキー)を電子書籍で読んでいます。

学生の頃(30年以上前です)に、1度、読みました。その時は、実家にあった「世界文学全集」で。

 

もう1度読んでみたくなり、電子書籍で購入し、読んでいます。覚えているところもあれば、記憶から抜けているところもあります。

 

なぜ読もうかと思ったかと言えば、先日母に「お母さんが好きな本は何?」と聞いたら、母が『ああ無情』と『罪と罰』と答えたからです。

「罪と罰のどんなところが好きなの?」と問いますと、「ドストエフスキーが好き。文体が好き」とのことでした。

学生時代に読んだことはありましたが(翻訳です)、「どんな文体だったのだろうか?(翻訳にしても)」と思い、あらためて読んでみることにしたのです。

まだ上巻(上下巻のうち)の半分くらいまでしか読んでいませんが、母の言う感じはわかります。

母は「大衆演劇」が大好きです。コロナ自粛前は、「大衆演劇」観劇によく出かけていました。コロナ自粛が解除になってから、久しぶりにまた出かけるようになり、楽しそうです。

ドストエフスキーの「罪と罰」の文体には、母の好きな「大衆演劇」のおもしろさ・楽しさのようなものがあるのではないかという気がします。

「物語の内容はとくにおもしろいとは思わないけれども(母曰く)」、「文体がおもしろい」母らしい感性です。

母は『ああ無情』も好きです。『ああ無情』は、物語に惹きつけられるようです。

母は「不条理」が心のベースにある時代や環境を生きてきました。『ああ無情』には「不条理」を感じるようです。

「自分がどうしようとか、どうなりたいとか、どんなに思っても願ったとしても、かなわないことがある」という「不条理」を受け入れて生きてきた時代の1人です。

戦争で何もかも変わり、幼い心に焼き付いた「不条理」。時代や生い立ちの中で「諦める」ことが習慣になった「不条理」。

 

そういう母の時代を経て、私は、「自分の意志で、希望を叶える」ことを実現したいと思うようになったのでしょう。

「願えば叶う」強く願えば。そういう時代の中で、私は生を受け、経験を積んでくることができました。

 

「不条理」は、今も、この世の中にたくさんあると思います。

 

母の時代は「不条理が当たり前」だった時代であり、私たちの時代は「不条理に飲み込まれない生き方を模索する」時代であったのかもしれません。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美