カズシン・ブログ

不動産業界20年を越えて この経験に基づく~物件論

フォルム(形)とカラー(脚色) 浅草のスーパー銭湯 スカイツリー

2020.06.28

浅草のスーパー銭湯から、スカイツリーが見えます。

夕方を過ぎて少しずつライトアップされていく姿、レインボー、

 

色が変わりつつフォルム(スカイツリーの形)を包みます。

オレンジ、ホワイト、レインボー・・・ゴールド、グリーン・・レッド、シルバー・・

その光の反射を眺めていると、スカイツリーの姿形の穏やかさと美しさは変わらないのに、色の変化で表現が変わることに気が付きます。

見る見る変化していく光の反射の刺激に、はっとしました。

スカイツリーのフォルム(形)は全く変わらないのに、スカイツリーが変化している、ということに。

 

ああ、そうだ、と思いました。

形はずっと最初から決まっていて、いつも、その時の見え方が違うだけなのだ、見え方が異なるのだと、わかりました。

 

人間社会もそうなのでしょうね。人間社会の、この世の中で起こることはいつもずっと決まっていて、物語はいくつかのパターンしかないけれど、登場人物の色味や物語の脚色によって、見え方が異なっているだけなのでしょうか。

そう思えば、合点がいきます。

悪人、善人、犯罪、子供、時代、いろいろな違いはありますが、分類されるいくつかの登場人物や背景の脚色によって、物語に変化を感じます。

 

ドストエフスキーも日本の大衆演劇も、テレビのホームドラマも純文学も、世界文学全集も。登場人物は古今東西おおむねパターンは決まっていて、それでもいくつかのそのパターンや強弱によって、物語に傾向や方向性、変化が生じるというわけでしょうか。

 

そう思えば、世の中で起こることはおおかた決まっていて、それでも自分に起こることやその時代の中で起こることは、自分自身に影響を及ぼし私たちは翻弄される、それぞれの人が形作られている人生の物語を生きるというのはそういうことでしょうか。

 

形(物語の筋)は決まっているけど、色が脚色されて、自分の色を出し切って生きる。

人生というものは、私にとって、そのような理解であれば、受け入れやすいもののような気がします。

 

終戦が子供の時であった母が、ガラケーからスマートフォンに変えました。『らくらくホン』というものです。

大好きな大衆演劇の役者の写真を撮ってメールで送ってくれます。

 

母の物語と私の物語はずいぶん異なるように思ってきましたが、元々は人生・物語の法則によれば大きな違いはなくて、違うのは色であり、脚色された時代背景が異なるために光の反射の刺激が違ってきて、見え方が異なっているということかもしれない。

 

浅草のスーパー銭湯で、「スカイツリー」を見ていて、そんなことを先日思いました。

 

皆さんは、何を見て、何を思われますか?

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美