カズシン・ブログ

不動産業界20年を越えて この経験に基づく~物件論

夜空が広くて。建物は古くなり、私の時間が流れる。主体的に、主観的に。

2020.03.13

昨日、事務所を出て自宅まで、いつものように歩いていました。

神田の事務所から自宅までおよそ1時間。

夜の空が広くて。その時、私の中で突然気付きが起こり、長年の疑問が一気に解消した気分になったのです。

 

大学生の頃、哲学者・カントの『純粋理性批判』から、「時間と空間」について考えたことがあります。

 

ふいに、昨日、夜空のもと歩きながら、「『私(わたし)』自身が『時間』」なのだと感じました。

その瞬間まで、私にとって時間は、どこかに(物のような感じで)ある(有る・在る)のではないかと思われていたのかもしれません。

しかし、その時、自分自身が「時間」なのだという意識がわっとこみ上げてきました。

 

私は、自分の中に「時間」を持ち、「時間」を感じているように思われました。

そして、私の外の世界は、私の中で流れる時間軸から見る「物」であり、その物の集まりが「空間」として感じられているようなイメージがあるのです。

 

私の中にある「時間」は、私のペースに合わせて流れているため、私自身が「時間」を外のものとして感じることがないのではないかと思われました。

 

夜空の下に、たくさんの建物が建っていました。

その建物は、時間経過とともに古くなり、これから一層年月とともに老朽化していくことでしょう。

 

しかし、その老朽化を感じるのは、私の内側からの「時間」によるのであり、時間の流れを感じるというのは、私自身が主体的に感じるということのようです。

私は生き物であり、私の時間は私の「生(生きる)」の範囲で有限にあるとすれば。

自分という人間の一人(私)の人生は、自分の中にある「時間」の流れと同じであるような気がしてきます。

 

「時間」とは、その人、一人一人が持つ、その人の人生の流れのことのように思われてきます。

自分の人生が自分の中にある「時間」のことであるならば、自分の外の世界は、「物」として私の中にある「時間」経過とともに、老朽化していくのでしょうか。

 

主体的に感じる私の中の「時間」が外の世界(物)を規定していくような印象を受けます。

自分の中で流れる時間感覚で、外の世界(物)が見えているような感じ、主観的に世界を見ているのでしょうが、この主観的であるということが私の特性なのでしょう。そして、主体的であるということ。

物から考える人と、自分(人間)から考える人がいます。

私は、自分(人間)から世の中の法則を見ていこうとしているのでしょう。

私の外に時間はなくて。そうであれば、私の人生が終われば、時間は消滅するのでしょう、少なくとも私にはその時点に至れば、もう「時間」は無いということ。

 

こう考えて、一層、私はその時までのこの生を大切に生きていこうと思います。

この世の中には、いろいろなグループがあり、いくつもの横軸があり、自分の中に縦軸があります。(私自身が思うところでは)

私自身の人生においては、私が位置するところの横軸を動きながら(物・対象の方が動いているのかもしれませんが)、自分の中にある縦軸が補足しているのでしょうか。

いろいろなグループには、そのグループの横軸があるのでしょう。

私には、私に合う横軸があるのでしょう。自分本来の横軸を動く時、私は、時間の流れが自分のペースと合っていることを信じられるような気がいたします。

 

皆さんは、どのようなグループに入っていますか。違うグループに行くと、動きづらいですか。

自分が何か動きづらいと感じる時には、本来の自分とは異なるグループに入っていて窮屈になっているのかもしれないですね。

 

自分の中を流れる「時間」が心地よく感じられるようになれば、自分自身に合う世界と出会えたということになるのでしょうか。

 

こんなことを考えても何になるのかわかりませんが、私にとっては、とてもさわやかな風が吹く、気付きとなりました。

皆さんの疑問は何ですか?

その疑問が解けたら、どんないいことがありそうですか。

 

私は、私と世の中が一致してきたような感じを持ち、進むべき道が見えてきたような気がいたします。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美