カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

戦争が近づく時は、こういう今みたいな雰囲気があるのでしょうか。国、政治家。不公平。物が言えない。マスコミ。言論統制。飲食店協力金。お酒

2021.02.23

コロナ禍、緊急事態宣言。経験したことがない日常に様変わりしましたが、一日が終わりまた一日が始まります。

政治家の方々の発言や行動、決定事項などがニュースで流れます。

国や都道府県、他、日本には大勢の政治家がおられますので一概には言えませんが、少なくとも私の今の感覚や思いに近い言葉を発している政治家の意見が楽に通ることは無さそうです。

人の感覚や思いは人の数ほどありますので、私のそれらが正しいわけではありません。

しかし、印象としては、政治家の方々は、支持層固めに反する影響が想定される事柄に関しては、スルーするか反応しても解釈を変えて、もとより意見を述べる方の趣旨にそって考えるつもりはないように私には見えます。

「何を言っても聞く耳を持たない」と判断せざるを得ない時、それでも何とか変えようとする人と、大人しく引き下がる人がいるのでしょう。国とか政治家に言っても変わらない、と諦めが出てくるのですが、聞く耳を持たないでやり過ごそうと最初から決心しているケースでは、まさに、諦めは、狙い通りの結果にあたるのでしょうか。

 

国民、庶民、企業でも、国や政治家の方々に睨まれたら、損をするのではないかという恐怖が心のどこかに根付いているものではないでしょうか。

コロナ禍においては、多くの業種、多くの企業、個人が厳しい状況にあります。楯突いて、いよいよ見放されてしまったら、という恐れは、本心を閉ざす動機にもなるでしょうか。あるいは、素材ごとぶつけるのではなく、政治家の方が取り上げやすい材料に料理してから、意見を出すとか陳情すると、言った人間に利益も期待できるところもあるのかもしれません。言った人間の利益ではなく、正義につながる面もあるのかもしれません。そう思うものの半面、結局は、政治家の方々の考え次第になるのでしょう。それとも、大きな声で激しく言い続ければ、政治は動くものなのでしょうか。

政治家の方々も使命感ではなく、生き残り。そして、それは、政治家の方々ばかりではなく。

厳しい今だからこそ、使命感ではなく、皆、自分の生き残りに欲が傾きがちです。私だって、そうなのでしょう。

マスコミも同様かもしれません。使命感ではなく、生き残りを模索しているように感じられます。

 

物を言いにくくなっている国民が多くなれば、かえって、支持層を固める有利なチャンスになるのではないでしょうか。不公平であっても、表立って大きな勢力に結集することはないと見込める限り、取り合わずにやり過ごす、ということもあるのでしょうか。

支持層をしっかりグリップできるのであれば、政治家の方々は安泰なのかもしれません。固いお客様が付いている状態は、他の商売であっても安心感が違います。

票固めのため、一層、グリップできる方向に力を入れる。そういう様子を見ていると、戦争が近づいてくる時というのも、こういう場面があったのではないかと思い付くのです。

一定の支持層を固めておけば、彼ら味方の力もあって、政治家は、自分に有利に物事を運べることになりそうです。

ヒットラーがいきなりユダヤ人虐殺と言い出したら支持は得られなくても、人気取りと連動しながらであれば、差別も正義と変えられる危険があったのではないでしょうか。

国民全員から支持を得ることは難しいとしても、一部から大きな支持を得ることは、やりやすいのかもしれません。一部にわかりやすくよくするには、集中しインパクトを感じさせる何かを打ち出すといいのでしょうか。

得に感じた人の多くは支持するのでしょう(仮に得があったとしても、どこを支持する、誰に付くなどは自分の損得によらず、の考えの方もおられるでしょうが)。よくしてもらえるかもしれないと期待する人たちも含めていきながら、盤石になれば、強い国、強い政治家を相手に何を言っても、相手にされない空気感が蔓延する。タイミングによっては罰を与えられるようになるのでしょうか。

戦争というのは、こういう空気感を経て、起こるものではないかという気がします。

言論統制があるような、あるいは、逆らうことへの躊躇い、恐怖心から自ら核心を避けているような、そういう気配が感じ取られるマスコミ。第二次世界大戦は、国民が非常な苦しみに置かれましたが、戦争が始まる前にすでに物が言いづらく、始まってからは罰が怖くて何も言えなかった。戦争が始まる前に物を言った人もいました。戦争中も正義感から物を言った人もいました。ただ、恐怖心に打ち勝って、勇気をもって物を言える人というのは、思いのほか少なく、職業であるマスコミ人も、良識ある個人も、残っていく、この社会の中に居続けなければという思いのもと、空気感に抵抗できなくなる。そうした先にあるのが、過去の戦争なのではないかと、そういうことを思うようになりました。

戦争をしないためには、やはり、個人が勇気をもって、流されない覚悟が必要なのではないかと思います。

 

さて、ブッダだったら、どう言うでしょうか。

私は、ブッダだったらどういうかちょっとブッダに聞いてみたいです。

 

ブッダであれば「気にしないで」と言って、穏やかな気持ちでいた方が得だと、気づかせてくれる気がします。

たとえば、協力金(時短要請 :一律 一店舗一日6万円)に該当する飲食店とそうでない飲食店、小さい店と大手、飲食店と飲食店以外等々、不公平感が広がっています。不公平感半端ないですが、公平さに欠ける分配を検証するつもりが見えない政治家の方々にとっては、これがいいこと、これでいいのでしょう。突然4万円、バタバタと一律6万円。一律に理由が伴っていないので納得いかない、地域や店の実態などと合っておらず不公平を感じる。また、大手飲食店にとっては絶望的に足らず、小さい店にはたとえ当面であったとしても十分らしい。どう考えても、簡単に納得できるところは見当たらないのですが、このやり方を変えないで通そうとする政治家の方々の力は強大であり、庶民の意見は、どうやらこのまま勝ち目はないらしい。

自分には「関係がないこと」と思って日々過ごさないと、心にわるいです。いくら気にしてみたところで、決め事をする方々がこちら側の考えに取り合うつもりはないわけですから。

ブッダに聞いても、きっと「ほっておきない(心を煩わせないように)」と言う気がします。だから、ブッダの言いそうな言葉を言い聞かせて、心穏やかにいたいです。

 

ところで、議員さんが夜遅く、お酒を飲む場に行っていました。

お酒や交流が楽しかったのかもしれないですが、国民がこんなに大変な状況ですから、何かが欠けていたのではないかと思います。

一つの例ですが、お酒は、判断を誤らせるものだと、あらためて思いました。

 

仏教では「お酒」は禁止されています。

日本はとてもお酒に甘い、お酒への規制が緩い国のようです。

夜の会食で政治家の方たちは、仕事をしてきたようですが、オリンピック・パラリンピックを開催するのであれば、世界に合わせて、お酒の規制の件も避けて通れない気がするのですが。飲酒運転、酔っ払いの暴行事件、健康を損なうなど、お酒による問題はたくさんあります。

日本では、お酒の規制が進まないのは、こうしたところでも、関係する方々への配慮などが理由の一つにあるのでしょうか。あるいは、その他、自分たちがお酒の場で仕事をしているから、お酒はいい物なのでしょうか。わかりません。

日本では、飲み方に気をつけましょう、ということです。お酒その物自体は、あまり問題視されていないようです。お酒が必ずしもわるいということではないとしても、アルコールの害ははっきりしているのですから、タバコと同じように、日本においても、見直しや適切な取り組みは必要な時代にすでに入っている気がします。

飲食店は食の楽しみを提供してくれ、親睦を深める場ともなります。お酒が好きな方もたくさんおられて、楽しみになっていると思います。しかしそれらとは別の問題として、アルコールの害については、冷静に考える必要がありそうです。少なくとも、仏教においては、お酒はダメです。なぜなら、理性をなくさせるものだからです。私は、できれば、できるだけ飲まないに越したことはないと思っています。

皆さんはいかがお考えですか。

 

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美