カズシン・ブログ

カズシン株式会社 代表取締役 山内和美のブログ
不動産業界20年を超えて、この経験に基づく…取引のこと、物件のこと、人間のこと。
宅地建物取引業者(不動産業者)カズシンの代表 山内和美が思うこと。

『君の膵臓(すいぞう)をたべたい』(住野よる)

2019.12.02

昨日、日曜日の夜、本を読みたくなりました。手元にこれといって読みたい本がなく、娘にきいてみました。「何かいい本ない?」

娘は、部屋から『君の膵臓(すいぞう)をたべたい』とタイトルが入った単行本を持ってきました。

桜満開の中、青春中の男の子と女の子が書かれたイラストの本の表紙を見て、私は「恋愛もの?」と娘にききました。

娘は「まあ、そんなもの」と。

 

『君の膵臓(すいぞう)をたべたい』という本の名前は、以前、電車車両内のポスターで見たことがあります。

「ああ、あの本だ」とわかりました。

「これ、こわいんだよね?」と、「膵臓・食べたい」の言葉から受ける印象をもとに、娘にきいてみました。

「怖くはないよ」と娘は言いました。

 

読んでみることにしました。

泣きました。

最後は、涙が止まりません。

 

私は昔、たくさんの小説を読みました。社会に出てからは、ほとんど小説を読むことはなくなりました。

久しぶりに読んだ小説でした。

 

友達と呼べる人を一人も持たないまま高校生になった男の子と、彼と出会ったクラスメートの女の子のお話です。

 

人の心がどのようなものであるのか、わかってきます。

「偶然ではなく選択の結果」人は今、その人と出会っていることが理解できます。

偶然ではなく自分の意思で決めて、人は今、自分がこのように生きていることに合点がいきます。

 

出会う時にその人と出会い、その人との交流によりおしえられることがあります。腑に落ちれば、その時「自分の弱いところが強さ」に変わります。

 

向き合うことが怖くて囚われていた自分自身の弱さに気づく時、「囚われ(とらわれ)」から抜け出し、抜け出した自分の中に「強さ」を見つけます。

 

過去や自分自身に向き合うのが怖くて、人は虚勢を張ったり、嘘をついたり、他者のせいにしたり、自分自身を責め続けたり、封印したり、否定したり、拒絶したりするものでしょう。

 

世の中にも人生にも人にも道理があると思います。

 

そうなるにはそうなる道理というものがあり、それらには法則があり、そこに至る道筋があります。

 

理屈が合うということがあります。理屈が通る時、物事は前に進みます。

 

 

『君の膵臓(すいぞう)をたべたい』の男の子は、友達をもつ術を知りました。

友達がいない自分が友達を欲しがっている「理屈」に気づいたからでしょうか。

友達を欲しがる自分が友達を持つために通らなければならない道筋を知り、「友達」まで歩いていきました。

 

小説の女の子は私におしえてくれます。言葉と気持ちを一致させていくことで、人は他者に意義あるメッセージを伝えることができるのだということ。

 

言葉のもつ意味、言葉の交流。言葉というのは、その人の化身ではないかという気がいたします。

 

孤独は人をある面においては強くします。しかし、信頼できる他者と出会った時、孤独な自我はぐらついて、孤独が弱さとの闘いであったことに気づきます。

孤独であるうちには、自分の弱さに打ち勝つことはできません。自分が自分と戦って勝つということは不合理です。

 

気づいた時、人は強くなります。そして、孤独である必要はもうなく、孤独を手放したとしても、自我は壊れないことを知ります。

強くなった人は、過去を受け入れます。孤独であった自分の真意に踏み込んで、孤独でありたくなかった自分を認め受けいれます。

言い換えるならば、過去と自分を受け入れることができた時、その人は強くなるということかもしれません。

 

孤独は人を弱くします。自分が自分を傷つけるから逃げ道がありません。

傷ついている人は、心を閉ざします。閉じこもった人の心は、自分の弱さとの戦いで満身創痍になっているのではないでしょうか。

 

弱さを克服しようとどれほど弱さを痛めつけても、強さは手に入らないように思います。

 

弱さが強さに変わる時。囚われから脱け出し、そのままの自分なのに違う自分になっている時。自分の弱さを認めた時ではないでしょうか。他者の弱さも認め、自分の過去に向き合い・過去を受け入れる。

 

体育のハードルを飛び越えた時と同じように、心理的なハードルを飛び越えた時も、はっきりと自覚があるような気がします。

 

気が付くと変わっていたということもあるでしょうが、心理的な大きなハードルを飛び越えた時、自分の中で何かがはっきりと変わった自覚が起こるように思われます。「ああ、わかった」「ああ、変わった」という感じでしょうか。

 

外は大雨です。

 

昨晩『君の膵臓をたべたい』を貸してくれた下の娘ではない、上の娘が部屋から出てきました。

彼女は今日は夜勤とのこと。今年の春社会人になり、現場でたたき上げられています。

 

この娘の比類ない強さを思う時、弱さがどこかで泣いていないか、気になります。

強くても弱くても、弱さも強さも、鏡のようなものであり、どちらであってもその人です。どちらが表でどちらが裏でも、どちらが真実でどちらが虚構であっても、その人らしさを構成するのは、弱さと強さの両方です。

 

私の名前で「作詞」となっている

 

初音ミクバージョン

 

今の会社「カズシン株式会社」を設立する前、個人事業主として宅建業を開業した頃出会ったアーティストに「作詞してくれない?」と言われ、初めて作った歌詞です。(歌詞を作ったといっても、アーティストがずいぶんたすけてくれています)

 

「初音ミク」バージョンは、「ニコニコ生放送」(だったかな)で配信されて、「深夜に聴くと泣ける曲」(そういうタイトルで)として選ばれました。

そのアーティストから連絡をもらって見てみたら、たくさんのコメントも付いていました。

 

自分がというよりも、アーティストが、というよりも、二人で共同して作った曲。

その時深夜に聞いて、私泣いてしまいました。作詞したとか関係なく、なんだかとても心揺さぶられてしまって。

 

よかったら、深夜に聴いてください。

 

皆さんの中に、今、いえ、もうずっと、自分自身と戦っている人はいらっしゃいますか。

時は流れます。過去に囚われないために、過去を恐れずその時の自分と向き合うことを怖がらず、勇気を持って向き合えた時、新しい自分が生き始めるのではないでしょうか。時間が自分に調和して、自分の時間が世界に開放されながら流れ始めるのではないでしょうか。

弱さを知ることは、無駄ではないような気がいたします。

カズシン株式会社

代表取締役 山内和美